2011年3月活動報告 とお礼

『心援隊びわこ』 浅野裕史

このたびは、緊急支援物資の供給、活動協力金のご寄付、励ましのお言葉、皆様から多くの想いをお預かりさせていただきました。

おひとつ、おひとつ心のこもった励ましに、我々スタッフは、想いを一杯詰め込んで避難所にお渡ししております。
さて、大震災から1ヶ月が過ぎました。ここまでの経緯を報告させていただきたいと思います。


3月11日
東日本大震災、農林水産省よりお水の支援要請。


3月12日
休日返上でお水の大量生産。


3月13日
大阪で「てんつくマン」達が、イベント。被災地に物資を届けるために出発準備。
*てんつくマン:NPO法人MAKE THE HEAVENの代表


3月14日
大量生産したお水を届けたいが、自治体等は、人命救助最優先で物資支援まで手が回らない。
夕方、草津SAでてんつくマン達にお水を託す(540L分)。

その夜、現地入りしたてんつくマン達から連絡があり、至急お水を持ってきてほしいと要請がありました。「来るにあたって余震や、放射能の影響で多分にあるのでご家族でよく話し合ってから来てください。」とのことでした。少しためらいましたが、私にしかできないことなので、決心いたしました。


3月15日
車の手配に苦戦。引越し時期、車の放射能汚染もありかなり苦戦しました。滋賀倫理法人会の中村さんから、びわこタイルの中野さんの友人の方の3tトラックをお借りすることができました。

お水だけでなく物資も集めました。ご近所、郵便局、友人などなど、なんとか3t車満載にできました。(お水2000L、オムツ、粉ミルク、毛布、電池、衣類など500箱分)


関東は燃料がないらしいので、軽油90Lを予備で持ってきました。
たまたま茨城から来ていた竹炭職キム一家にもお手伝いいただき、キムと2人で夜出発しました。

目的地は、急遽、バトンリレーのように、我々が川崎まで運び4t車に積み替え、JAPAN元気塾の加藤秀視さん(栃木県日光市)に持っていくことでそこから即、現地避難所運ぶルートができました。


3月16日
物資の集荷拠点がほとんどない中、このルートができたことで、「1/4の奇跡」のカッコちゃんのブログに載せてもいいですか?物資がいっぱい来ますよ。っと、和歌山の島村さんからご連絡いただき即OKしました。

すると問い合わせの電話が国内外から鳴りっぱなしになり、翌日には宅急便が信じられないくらい届きました。皆さんのお気持ちが一気に集まり、ボランティアしたいと大阪から来られたり、感動し、与えられた使命を感じました。


3月17日
すでに、数人の子供達は、衰弱、餓死の情報があり、運送を加速しなければならなくなりました。滋賀建機さんの好意により、4tトラックを借りられました。目的地は、石巻市のめ組本部そこから避難所へ物資配布。夜、雪の中、物資800箱分、予備燃料を積み込み2人で出発。いつものことながら細かく給油。

滋賀では物資がトラック満載で届くので、南郷中学校の教室をお借りし、仕分け作業を行ってました。


3月18日
朝、東京着。私は、もう一台車の手配ができたので新幹線で帰る。キムは、東京の友人2人と石巻に向かった。
滋賀に帰り、物資の積み込み(400箱分)、日光市のJAPAN元気塾と合流し炊き出しもすることになった。
緊急車両の許可をもらいに大津署へ。今回初の発行みたいで1時間かかった。合流のこともあり、明朝出発。家で、少し睡眠ができた。


3月19日
クオリティライフの能登社長が同行くださった。いつものように細かく給油し、日光市に着いたのは17時、そこで震度5強の直下地震にあった。車があぜ道を走るような揺れだった。

北上し、宇都宮インターで車両の入場規制があった。最終給油できるのは、安積PA、安達太良PA。東北道はかなり
ガタガタ、夜中なのに修復工事をされていた。SAで仮眠をとった。再度加藤さんと合流し、石巻に向かった。インター付近は壁が壊れてる、家の中がグチャグチャ程度。建物はほぼ大丈夫。市内に入ると給油渋滞は何kmも。道はマンホールが浮いている(道が沈んでる?)

津波の高さを示す泥の跡が、壁についていた1.5mぐらいでしょうか。人影は少ない、自転車、歩いてる人は泥だしをしている。

大橋を渡ると、別世界。屋根の上に船が乗っています。車も幾重にも重なってます。湊小学校まではまだ浸水している。3日前自衛隊が瓦礫撤去してくださって物資を届けられるようになった。

どこもかしくも、泥でグチャグチャ。長靴でないととても歩けない。


湊小学校では、本日NPOピースボートの方々が、活動されていた。

体育館、周辺の横転した車、屋根の上の船、津波の様子を想像しても恐ろしい光景です。

近くの住宅街で物資を配った。リーダーがいて(須田君といいます。)、一軒一軒家族構成ごとに必要なものを配布しました。2日前に始めてお水の供給を受けたとのこと。子供達にお菓子を分けるととても嬉しそうでした。


山向こうの鹿妻小学校に移動。2000人ぐらいの避難者と自宅避難者3000人のエリアで炊き出し決定。
まず、東京から同行の10tトラックの資材を下ろした。
炊き出しの用意をしていたが、リーダーの方と、住民の間で口論が始まった。

この地域はかなりの車が横転しているため、燃料が漏れ引火すると町が火の海になる。
なので、避難所では喫煙所以外、カセットコンロも使用禁止。当然温かいものはずっと食べていない。お米も玄関に大量にあったが、炊くことはできないお米であった。住民側としたら、10日も温かい物は食べていない。

共同生活にストレスも限界。安全が確認ところでやろう!


でしたが、責任あるリーダーは延々口論でした。
そんな中、我らのリーダー加藤秀視氏は、着々と炊き出しの準備を進めていました。

加藤秀視氏は、震災2日目から炊き出しを行ってます。
およそ、炊き出し準備が整ったころ口論していた方々が決着がついたのか、炊き出しをすることになった。そうと決まれば、学校からお手伝いの方が来られ、体の不自由な老人達に配布くださった。

行列ができ、皆さんから笑顔がこぼれた。

その後、め組の指示で、女川方面で物資の要請があり、向かった。
ここは、壊滅状態でした。瓦礫しかなく、コンクリートの建物の上にバスや船が乗っていた。

避難所を探し、必要なものをお届けした。

女川第一小学校、女川高校、青年センター、第一保育園。物資全て配布し、帰路につきました。


そこで大変な事が待ち構えてました。沿岸部で、地盤沈下と満潮により道路が海水で一杯になってました。車何台かは水没して身動き取れない状態になってる中、トラックなので行けるだろうと、進むにつれ水かさが増え、止まったらだめだと思い、ひたすら進みました。

何とか無事帰れましたが、後もう少し深ければ滋賀には帰れなかったでしょう。


以降は、ほぼ毎日お水などの物資を宅配便で送れるようになったので、送ってます。



女川・石巻の当為の様子
2012112005.jpg


炊き出し等の様子
2012112006.jpg


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心援隊びわこ

Author:心援隊びわこ
災害支援活動をしています『心援隊びわこ』です。 
現地の復旧活動や支援物資をお届けのほかに、NPO法人MAKE THE JAPANの活動も支援しています。

『心援隊びわこ』 
〒520-0865
滋賀県大津市 南郷3丁目1-12
(いわまの甜水内) 

事務局長:浅野 裕史 
TEL090-3276-3488(浅野)
shinentai.biwako@gmail.com

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